D&D日本世界プロジェクト 歴史編|平安時代の設定

D&D日本世界プロジェクトとはD&Dやフィフスエディションを使い、日本史のパラレルワールドを舞台とした日本世界を構築していく企画です。基本的には歴史をなぞらえるのでどこかで誰かがやってるということも考えられます。

日本世界の歴史 平安時代

D&D日本世界(ニホンセカイ)の歴史は基本的にこれまでの日本史と同じであり、縄文時代・弥生時代・古墳時代・飛鳥時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代・戦国時代・安土桃山時代・江戸時代・明治時代と続きます。世界には地獄へと続く言われる地獄の蓋があり、歴史に多く関わっています。実際には地獄だけでなく、フェイワイルドやシャドウフェル、そのほかの次元界にも繋がっています。地獄の蓋が開くことで多くのクリーチャーが出現するほか、悪意を持つ存在はその悪意による衝動が激しくなります。歴史上、権力を手にした者の多くは悪意または悪意ある存在に操られています。

平安時代では朝廷の他に武士が台頭して権力を握るようになり、魍魎や悪鬼などが多数出現することからTRPGの舞台としても使いやすい時代と言えます。

平安時代(794年~1185年)

D&D日本世界の平安時代とは現在の京都府にあたる「平安京(ヘイアンキョウ)」に桓武天皇が遷都から源頼朝が将軍になり鎌倉幕府を樹立するまでを指します。平安時代は都が一段と整備され華やかさが増しますが、ひとたび街離れると魑魅魍魎が溢れる世界になっており、獣や物の怪が溢れていました。桓武天皇が地方統治を諦めたことで各地の有力者たちは自衛のために武装化をしました。その際、武力を持って物の怪を退治することができる武者(ファイター)や野伏(レンジャー)、陰陽術を使い退魔を行う陰陽師(ウィザード)が多く活躍するようになりました。中央では長く続くハーフリングの藤原氏が荘園を拡大して権力を握り、皇族と藤原氏を中心に権力闘争が繰り広げられました。

869年に大地震(貞観地震)が発生し、エルフが支配していた北方の地で大きな被害が発生しました。朝廷は援助と調査を行うためにドラゴンボーンの紀春枝(キノ・ハルエダ)を特使として派遣した。

939年には関東から中部を支配していたヒューマンのウォーウィザードである平将門(タイラノ・マサカド)が新皇(しんのう)を名乗り朝廷に謀反を起こし(平将門の乱)、同年に海賊のとなったハーフリングの藤原純友(フジワラノ・スミトモ)に瀬戸内で謀反を起こしました。平将門は自身の復讐を優先したため基盤を作ることができず敗退。わずか2ヶ月で討たれ、その首は平安京に晒されました。しかし、将門は絶命するときに自身の体に術を刻んでおり、突如この晒し首が呪文を唱えました。その呪文は別次元へと繋がり、安全であった平安京にも悪霊や物の怪が出没するようになりました。また、出現した大悪魔により将門の首は奪われました。なお混乱した平安京に安定をもたらしたのは至高の陰陽師であるティーフリングの安倍晴明(アベノ・セイメイ)でした。

世の中には長く混乱が続き、995年に京都で疫病が発生。999年には富士山が噴火して地獄の蓋が再び開くなど、不安定な時代が続きました。そのため朝廷内で争いが続き、皇位を巡る争いが激化し、1156年に保元の乱、1159年に平治の乱が起きました。その結果、活躍したヒューマンの平清盛(タイラノ・キヨモリ)がファイターとして初めて太政大臣の地位に就き、平家が権力を持つようになりました。

1180年打倒平氏を誓った伊豆に流されていた源頼朝(ミナモトノ・ヨリトモ)が坂東武者の北条の力を借りて挙兵し、今の岐阜県にあたる場所で同じ源氏の流れを汲くバーバリアンの木曾義仲(キソ・ヨシナカ)も挙兵しました。1183年に倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)で義仲が10万人にも及ぶ平氏の軍勢を打ち破り、京都へ一番乗りと果たしました。しかし、粗暴な振る舞いや皇位への干渉をしたことで上皇の反発に遭い、同族である源頼朝とも決裂し敵対したことで、源義経(ミナモトノ・ヨシツネ)の手によって討たれてしまいました。

上皇の支持を受けた源頼朝は三種の神器(草薙剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉)を持って都落ちした平氏を追撃。1185年、今の山口県であった壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)により、平氏を滅亡させました。しかし、頼朝は義経を脅威と感じ、義経を謀反人に仕立て捕らえようとしました。少数の郎党だけを連れて逃げ延びた義経は奥州の藤原秀衡(フジワラノ・ヒデヒラ)を頼って潜伏しましたが、秀衡が病没したあと事態は急変。秀衡のを継いだ藤原泰衡(フジワラノ・ヤスヒラ)が奥州の平和と引き換えに義経の首を差し出そうとしましたが、頼朝は勝手に家族を勝手に討伐したとして奥州を攻め滅ぼしました。

そして1192年、頼朝は征夷大将軍となり鎌倉幕府を開きました。

種族日本世界での呼び名当時の説明
ハーフリング平原人(へいげんびと)日本全土で生息。荘園を拡大していき実権を握ってきた藤原氏の多くはハーフリング。藤原姓でも養子であることもあり、別種族も存在する。
エルフ北方人(ほっぽうびと)北方(現在の東北や北海道)で狩猟をしながら生息。魔法に優れている。静御前や巴御前はエルフ。
ドワーフ南方人(なんぽうびと)南方(現在の九州南部や先島、沖縄などの離島)で植物が育ちにくい地域にて生息。
ヒューマン平野人(へいやびと)日本全土で生息している。政治の中心に多く在籍。平家、源氏の多くはヒューマン。
ドラゴンボーン竜人(りゅうびと)本土で見かけるのは稀。基本的に八丈島などの南の島で生息。紀春枝はドラゴンボーン。
ティーフリング稀人(まれびと)広く人材登用が行われる都では見かけるようになる。安倍晴明はティーフリング。
ノーム山人(やまびと)南アルプスを中心とした山岳地帯で生息。山彦を返す人と思われている。
ハーフエルフ呼び名なし北方またはその近辺で誕生したエルフとヒューマンの混血。
ハーフオーク呼び名なしオークとヒューマンの混血。数は少ないが巨体で力持ちということでハーフリングやヒューマンと共に生活をしていることもある。

平安京

794年に桓武天皇が移した都で山城国に開かれました。皇族が住む居城があり、整備された街並みで多くの種族が集まる都市でした。この都は桓武天皇によって護りの魔法がかけられており、平将門による次元界接続が行われるまで魑魅魍魎は侵入することができないバリアに覆われていました。

貞観地震(じょうがんじしん)

869年に貞観地震は北陸の海底で巨大な地震が発生し、大きな津波が海岸を襲いました。北方はエルフが収めている地でしたが、奥州などヒューマンが収めている地も激しい被害を被り、エルフと朝廷の間で共同の調査が行われました。この時のドラゴンボーンのクレリックである紀春枝(キノ・ハルエダ)が特使として現地に赴き、この自身の原因がクラーケンによるものと解明します。この地には太古の昔からクラーケンの存在は伝わっており、海を怒らせることはないようにする言い伝えがありましたが、ノームの一団が行った実験により一時的にクラーケンが目を覚まし破壊的なエネルギーを発したと推測されました。また、この地震と津波の被害は一回だけでクラーケンは再び眠りについたとされました。

平将門の乱

939年に平将門(タイラノ・マサカド)が起こした乱。現在の茨城県にあたる常陸国(ヒタチノクニ)を朝廷の命で管理していたヒューマンの源護(ミナモトノ・マモル)や娘婿であり将門の伯父である平国香(タイラノ・クニカ)や平良兼(タイラノ・ヨシカネ)と、将門の間で「女性の在り方」で揉めたことが切っ掛けで仲違いをしました。許せなかった源護が国香や良兼などに将門を襲撃するように指示しましたが、将門は持ち前の高い戦闘能力を発揮して次々と撃破し、源護がいる朝廷の出先機関である国府を包囲しました。源護が朝廷に救助を求めたため、将門は自分の正当性を証明するために都へ上り、正当性を主張。将門は厳しい尋問を受けますが、ちょうど新天皇の即位と重なり、全ての罪の恩赦を受けました。その後常陸国に戻った将門でしたが、執拗に伯父である平良兼に狙われ対立しますが、最後は良兼を筑波山に駆逐し、その名を関東に轟かせました。

しばらくして国府に税を収めず抵抗してたハーフリングの藤原玄明(フジワラノ・ハルアキ)が将門に庇護を求め、将門は玄明の家族を匿いました。国府は将門に玄明の引き渡しを要求するも、将門は引き渡しを拒否し逆に撤回を要求。その結果、将門軍1000人と常陸国府軍3000人が衝突し、将門が勝利しました。その勢いで将門は関東一円を支配し、さらに知識の神の一柱として崇められている菅原道真(スガワラノ・ミチザネ)の霊による神託を受け、将門は自らを新皇(しんのう)と名乗りました

そして将門は自分の命を狙った従兄弟である平貞盛(タイラノ・サダモリ)の軍を蹴散らしたあと捕らえようと捜索に時間をかけましたが逃げられ、基盤を固める大切な時間を無駄にしました。そのため軍の補強に遅れが出てしまい、逆に国軍に追い詰められました。そして貞盛率いる国軍との最後の決戦で将門は陰陽術を用いて広範囲に及ぶ竜巻を起こし、戦いを優位に進めました。しかし、将門が勝利を確信したときに突如風向きが変わり国軍による猛反撃を受け、将門も額に矢を受けて倒れました。死ぬ間際に将門は矢を掴み自身に術をかけて呪文を頭部に刻み絶命しました。

わずか2ヶ月で平将門の乱は鎮圧され、将門の首は平安京に晒されました。しばらくすると晒し首は突如言葉を発し、上空に暗闇が立ち込めました。暗闇の中から黒い何かが現れ将門の首を持ち去り消えましたが、しばらくの間平安京は闇に包まれ魍魎や物の怪が出没するようになりました。

平将門(タイラノ・マサカド)

ヒューマンのウォーウィザード卓越した指揮能力と陰陽術を操ることができた人物。叔父との争いでに勝ち、関東一円を支配しました。神託を受けたことでアライメントが秩序にして中立が、混沌にして中立に変化し、新皇の名乗りを上げました。死の間際に自身に術を仕掛けたことでいくつかの次元界と接続に成功し、平安京に貼られていた障壁を破壊しました。また、別の次元界から出てきた存在に将門の頭を持ち去られことで、後世に怨霊として現れたといった噂も出るようになりました。

源護(ミナモトノ・マモル)

常陸国の国府を仕切っていたヒューマンで4人の娘を持ち、その婿の1人が平良兼(タイラノ・ヨシカネ)でした。「女性の在り方」で平将門と対立し、娘婿たちに将門を襲撃するように仕向けましたが、将門に返り討ちに遭いました。

平国香(タイラノ・クニカ)

平将門の伯父に当たるヒューマンのファイター。源護の指示により平将門を狙うも失敗し殺害されました。将門を討った平貞盛の父です。

平良兼(タイラノ・ヨシカネ)

平将門の伯父に当たるヒューマンのファイターで、将門の義理の父。源護の指示により平将門を狙うも失敗しています。執拗に将門を狙いますが勝てず、将門の妻である自分の娘を捕らえますが逃げられ、最期は病死しました。

平貞盛(タイラノ・サダモリ)

平国香の子でヒューマンのファイター。将門の従兄弟にあたる。国香が討たれた時は襲撃を行った父が悪いとして行動を起こさなかったものの、良兼に説得されて将門と戦うことになりました。一度将門に激しく負けるも命からがら逃げ出し、最後は自軍の陰陽師たちが将門の術を打ち破ったタイミングで攻勢をかけ、将門を討ち取りました。

藤原玄明(フジワラノ・ハルアキ)

農園を運営していたハーフリングで頑なに税を収めなかった人物。国府に迫られ逃走するも、逃走中に穀物庫を襲撃する悪人でした。逃亡時に将門の元に身を寄せ匿ってもらったことから将門と行動を共にしました。

安倍晴明(アベノ・セイメイ)

平安時代の至高の陰陽師であるティーフリング。将門の呪いが都を覆い現れるようになった妖魔を祓っていった人物。謎に包まれているが高い能力を持つため、後世に伝わる陰陽師の名家となりました。

平氏と源氏

平安時代の初期は藤原氏を中心に政治が行われていましたが、武士の台頭により平氏と源氏が力をつけてきました。平氏は50代の桓武天皇の血筋を持ち、源氏は56代の清和天皇の血筋で、どちらも由緒正しい血筋を持っていました。この二つの氏族は常に対立していたというわけではありませんでしたが、保元の乱と平治の乱という二つの皇位を巡る争いが起きたことで明確な差がでるようになりました。平治の乱で功績を上げた平清盛(タイラノ・キヨモリ)が頭角を表し、清盛はファイターとしては初めての太政大臣に就き、一族を政治の要職へと就けていきました。平治の乱で父である源義朝(ミナモトノ・ヨシモト)が敗れたことで伊豆国(イズノクニ)に送られた源頼朝(ミナモトノ・ヨリトモ)が「打倒平氏!」を旗印に坂東武者を束ねる北条家の支援を受けて挙兵しました。同時期に木曾義仲(キソ・ヨシナカ)も挙兵し、都にいる平氏と戦うために兵を向けました。

平清盛(タイラノ・キヨモリ)

平氏による支配を始めたヒューマンのファイターで、ファイター初の太政大臣になった人物。保元の乱と平治の乱で功績を上げ、特に平治の乱では源氏を駆逐して平氏による統治を行う世の中にしました。都の六波羅に居を構えていたことで六波羅殿(ろくはらどの)とも呼ばれていました。源氏が挙兵するなか病死しました。

源頼朝(ミナモトノ・ヨリトモ)

父である源義朝が平治の乱で敗れたことで捕らえられ、都から離れた伊豆国に送られたヒューマンのファイター。打倒平家の声を上げ、坂東武者を率いて都を目指しました。先に都入りして法皇を幽閉した義仲と戦い、落ち延びた平氏を追討するなど活躍しました。政治力に長けており、実戦での戦果は義経に敵わないことから、人望と武力も持つ義経を脅威と感じ義経の命を狙い、義経を匿った奥州藤原をも討ち滅ぼしました。征夷大将軍となった頼朝は1192年に鎌倉幕府を開きました。

木曾義仲(キソ・ヨシナカ)

源氏の流れを汲むヒューマンのバーバリアン。挙兵して都に向かう中、兵士の大群と遭遇するも火牛の計を用いて平氏の軍を打ち破りました。頼朝が進軍に時間がかかる中、いち早く都に辿り着き平氏を追い払い天皇を助けました。しかし粗暴な振る舞いや飢饉での対応の不味さから信頼を失い、信頼回復のために平氏の追討で都を出ました。ところがその後に頼朝が都入りが近いことを知り、義仲の敵は平氏から都の戦いをやめて京都へUターンしました。この時点で義仲の敵は平氏から頼朝に変わり、追い詰められた義仲は法皇を幽閉して傀儡政権を樹立しました。

迫り来る頼朝の軍と戦うために自分を征夷大将軍に任命して平氏との和睦を進める中、いよいよ頼朝の軍と戦うことになりました。義仲は都に立て篭もる戦いを選びますが、人望を失っていたことで綻びができて敗走しました。どうにか5人で滋賀まで逃げ延びた義仲でしたが最期は義経によって討たれました(粟津の戦い)。

巴御前(トモエ・ゴゼン)

木曾義仲の伴侶であるエルフのファイター。武芸に優れており、義仲が平氏の大軍を破った倶利伽羅峠の戦いでも一武将として参戦していました。粟津の戦いの時には姿は無く、死んだのか生き延びたのかは不明です。

源平合戦

木曾義仲が都へ迫ったことで平氏は清盛の孫に当たる安徳(アントク)天皇と三種の神器を持ち出して都落ちをしました。追撃に来た義仲が頼朝を警戒し都に戻ったことにより、平氏は現在の標語である摂津国(セッツノクニ)まで戻り、福原(フクハラ)に強固な防衛陣を築きました。義仲討伐を終えた義経は陣の一つである一ノ谷に向かい、正面の本隊とは離れて70騎を連れて一ノ谷の真裏にある断崖絶壁を駆け下りました(逆落とし)。陣の内部で戦闘に平氏は仲間割れと思い混乱し、義経の本体も合流して一ノ谷を攻め落としました(一ノ谷の戦い)。

敗走した平氏は海を渡り四国へ逃走しました。この時義経は水軍を持っていなかったため、新たに熊野水軍と伊予水軍を味方につけ軍備を進めました。準備が整った義経は船が出ないと思われた豪雨の中に出港し、四国に到着。平氏の守りが手薄な屋島へ徹夜で強襲し、平氏は海へと逃亡しました。やがて平氏はわずかの兵に騙し討ちされたことを知り海上から無数の矢を放ち攻撃をしました。この戦いの最中、弓を得意とするファイターの那須与一(ナスノ・ヨイチ)が扇の的を射抜くなどして寡兵ながらも源氏は戦い続け、援軍の到着を受けたことでこの戦いに勝利しました(屋島の戦い)。

敗走した平氏は西へと逃れますが、源氏が先に九州に上陸したため逃げ道を失い、現在の山口県である壇ノ浦に集結し源氏と戦うことを決意しました。水軍の戦いであり巧みな操船技術を持つ平氏と海戦に慣れていない坂東武者であったため平氏が有利に戦を進めました。しかし、潮目が変わることで源氏の反抗が始まり、兵士の水軍は崩れていきました。敗北を悟った安徳天皇の母で清盛の娘である建礼門院(ケンレイモンイン)と清盛の妻である二位尼(ニイノアマ)が安徳天皇と三種の神器を持って入水。平氏の武将も次々と入水しました。この時、源氏の勝利が決定しました。

源義経(ミナモトノ・ヨシツネ)

源頼朝の弟にあたるヒューマンのファイターソーサラー。幼き頃に鞍馬山で天狗に才能を見染められ、陰陽術や仙術と武器の使い方を修得しました。頼朝が挙兵したあと遅れながらも頼朝の軍に参戦し、木曾義仲を討ちました。一ノ谷の戦いでは「鹿が降りれる崖なら馬でもいける」と言い放ち、崖下の陣まで駆け下りたことや、屋島の戦いでの急襲、壇ノ浦の戦いで船の上を飛んで渡るなど目まぐるしい活躍をしました。

兵士討伐では目まぐるしい活躍を見せた義経でしたが、逆に頼朝から危険視され命を狙われました。命からがら落ち延び頼った奥州では藤原泰衡(フジワラノ・ヤスヒラ)によって追い詰められ自害したと言われています。しかし、これは身代わりを立てた泰衡の作戦であり、義経と静御前はアンダーダークへ潜ったとも言われています。

武蔵坊弁慶(ムサシボウ・ベンケイ)

義経の郎党であるハーフオークのパラディン。子供の頃は手のつけることができない暴れん坊でしたが、比叡山にて仏法と武術を学びました。都で武器千本狩りと称して五条の大橋で腕自慢の武者などと決闘を行い武器を奪っていました。999本集め最後の一本のところ通りがかった義経に敗れてしまい、以降義経と行動を共にしました。義経が奥州へ落ち延び、アンダーダークへと逃げる際にその痕跡を偽装するために囮となりました。迫り来る藤原泰衡の手勢を迎撃すべく衣川館の入り口に立ちはだかり奮闘するも矢の雨を全身に浴び、最後は立ったまま絶命しました。

伊勢義盛

義経の郎党であるハーフエルフのレンジャー。粟津の戦いで木曾義仲を首を取る功績を上げています。

熊谷直実(クマガイ・ナオザネ)

義経の逆落としに参加したドワーフのファイター。一ノ谷の戦いの中、海へ逃げる平氏の騎馬を見つけ一騎討ちをして組み伏せたところ、その相手が自分の子供と同じ頃合いであったため躊躇してしまいました。しかし、このまま逃しても他の武士に討たれると思い、「同じことなら自分の手にかけて、死後も供養しましょう」と言い、清盛の甥である平敦盛(タイラノ・アツモリ)の首を斬りました。この一件により直実は武士をやめ出家しました。

平敦盛(タイラノ・アツモリ)

平清盛の甥でヒューマンのバード。一ノ谷の戦いで熊谷直実と一騎討ちをして組み伏せられ斬られました。

佐藤継信(サトウ・ツグノブ)

源義経の配下でハーフオークのファイター。屋島の戦いで義経を狙った平教経(タイラノ・ノリツネ)の放った矢を身代わりで受けて絶命しました。

平教経(タイラノ・ノリツネ)

平清盛の甥でヒューマンのファイター。平氏最強と言われるほどの剛の者であり、矢島の戦いでは義経を射抜こうとしました。壇ノ浦の戦いでは平氏の入水が行われるところを見て、義経だけでもと狙うが義経は八艘飛び(ミスティ・ステップ)で逃げたため捕まえることができず、逆に捕まり水に落ちてしまいました。

那須与一(ナスノ・ヨイチ)

源義経の配下でロングボウを得意とするハーフエルフのファイター。源氏を挑発した小舟に掲げられた扇の的を射抜き、ついでに平氏の武者も射抜き源氏の士気を上げました。

片岡常春(カタオカ・ツネハル)

義経の郎党のヒューマンのファイター。壇ノ浦の戦いで失われたと思われた八咫鏡を拾い上げる功績が評価されました。義経がアンダーダークに逃げる際に僅かな手勢を率いて時間稼ぎをして討死しました。

まとめ

いかがでしたか?D&Dやフィフスエディションで日本史で遊ぶための日本世界の設定で平安時代をまとめたものです。武者や陰陽師が登場し、ごく自然にモンスターを登場させることができる時代であることと、陰謀が飛び交う都、地域で起こる紛争などシナリオの舞台にもしやすい時代です。NPCとして平氏や源氏も登場するのでシナリオを彩るキャスティングも可能です。

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